総務常任委員会
6月18日(木)、総務常任委員会所管の市内施設などを委員会のメンバー全員で視察しました。
今回は歴史関連の施設3か所(海上自衛隊第2術科学校資料室、貝山地下壕そして走水砲台跡)とYRP地区で研究開発している先端技術の1施設(NTT開発センター)、計4か所の視察を実施しました。
田浦地区にある海上自衛隊第2術科学校は、戦前旧海軍水雷学校(明治40年)及び旧海軍通信学校(昭和5年)が発足し、戦後は海上警備隊(昭和27年)が創設された場所に位置しおり、今ある海上自衛隊が創設された地ということはあまり知られていないのが事実です。その資料室には旧海軍機関学校ゆかりの資料そして海上自衛隊創設に関連した資料約6,300点が展示公開されています。展示物の中には、日露戦争時にその名をとどろかせた東郷元帥の書や、誰もが知っている山本五十六元帥の「常在戦場」の書や短刀などはじめ、「軍医」だった芥川龍之介氏が英語教官として教鞭をとっていた資料などが保存展示されており、私たちメンバーも多くの資料を見入っていました。説明の中で芥川龍之介氏が「小説家」という誤解されている方が多い中、この資料室で「軍人」であったという資料を見て驚かれる方が多くいることや、数年前までは一般見学者が年間100人程度であったが現在では年間7,000人程度まで多くなったとの説明がありました。
次に追浜地区にある貝山地下壕と第三海堡の遺構を視察しました。貝山地下壕は太平洋戦争当時に掘られた旧海軍の地下壕で、当時海軍航空隊、予科練、海軍航空廠などが集中してこの地に設置され、それら施設が本土決戦や空襲に備えるため掘られたとされています。平成19年から23年までは一般公開もされていましたが、大震災の影響で現在は一般の方は入ることが出来ません。以前私自身地下壕に入ったことがありますが、地下壕は全長約2,000mあり内部は複雑に分岐し幅3~4m高さ3mの部屋のような空間が点在されています。地下壕というと洞窟のイメージがありますが、この地下壕は通路も立って普通に歩ける規模であり、これを手掘りで進めたということに驚かされる規模です。また、隣接した場所には東京湾第三海堡の構造物を視察しました。大正時代の構造物で建築関連の専門家からは一定の評価を受けている構造物です。しかし、現在では1か月に1回だけの公開になっており、せっかくの歴史的な遺構が活用されているとは言えません。第3海堡単体では中々人を呼び込むことは出来ないと思う。しかし、近接している地下壕とセットにしたらどうだろうか。また、この地区には他にも明治憲法起草の地としての記念碑もあり明治から昭和にかけての歴史を感じさせることもできるのではないか。
今回、「歴史」をメインテーマで視察を行いその結果、市内には埋もれている歴史資源が多くあることが改めて認識することが出来ました。歴史資料はほっとけば散在し消滅してしまいます。しっかりと後世にその歴史を語り続けさせるためにも、このような歴史資源の保存・展示のような活用を考えていかなければなりません。横須賀の生い立ちに関連する歴史資料は「資源」として残す取り組みを行っていきます。